父を看取る母の生き方
82歳の父が肺癌で
今年1月に余命半年と言われました。
ところが10月に入った今も
自宅療養しています。
8月ごろに一度容態が悪くなり、
本人も「俺は8月中に死ぬ」
と宣言していたのですが、
酸素吸引機を自宅に入れ
再び容態が安定しました。
最初に父が長くないと聞かされた時
私は同じ女性として、病気の父よりも
看取る側の母がまず心配になりました。
「もうすぐパートナーが亡くなる」
これが自分だったらと思うと
とても耐えられないからです。
しかし母は意外にサラッと、
「今まで散々尽くしてやり切ってるから大丈夫」
と答えるのです。
そして父も
「俺はこの人生に満足してるからあとオマケだ」
とこれまたサラッとしているのです。
我が両親ながら何とも潔い二人!
女は家庭を守り、男は外で稼いでくる。
それが「社会の常識とされた時代」の夫婦です。
母は子育てと家のために、
看護師を辞めています。
それは母の人生とって
大きな選択だったのでしょう。
「仕事を続けていれば…」と
私は何度か母からその言葉を聞かされています。
「あの時はそれが正しいと思って迷いもしなかったのに」
と母は言います。
「そうだよねぇ。
人生って、その時はそれが正しいと信じて選択してるよねぇ」
特に女性は。
本当に様々な人生になっていきますよね。
高校生の頃はみんなほぼ一緒だったのに。
そしていつだって
「きっとこれが正しい」って選択している。
そう思って結婚したのに、私も離婚してるし。
本当にわからないものです。
3人の子育てと、家事と農業と商売と
母が全てをこなしていたので、
看護師を続けることは不可能だったのでしょう。
今の私から見ても、
マルチな母だからできたとのだと思います。
もしも違う時代だったら
母はバリバリ働いていたかもしれません。
そうやってたくさんの
「選ばなかった自分」を引きずりながら
選んだ人生を歩いているんだなとも思います。
これを夫に言うと、
「選ばなかった人生は誰かがやってくれてるからありがたいよね」
と返ってきました。
なるほど。
たくさんの女性達が、
さまざまな人生を生きて、
自分が選ばなかった人生は
誰かの人生として紡がれている。
みんな繋がっているのだなあ~感じるのです。
ほぼ何も食べられなかった父が
秋になり涼しくなるにつれて
好物の山キノコや柿なども
食べられるようになりました。
それを嬉しそうに報告する母が
「容態が落ち着いたからって
あと何年も生きられるわけじゃないけど
安定している時期が長引けば、
苦しむ時期は減るから」
出来るだけ苦しまず
出来るだけ穏やかな二人の時間が
長く続くといい。
「私もそう思う」今日は電話で
そんな母の気持ちを聞くしかできないけど
今月は両親のケアをしに帰省したいと思っています。
末期癌の父の状態が最悪だった8月は
ケアをするために2回帰省しました。
それが延命の助けになっていたのかは
なんの証明もできませんが
ケアの内容は【症例】の方でお伝えしたいと思います。
興味のある方はこちらをご覧ください。